イエスの友会の歴史

わたしの命じることを行うならばわたしの友である。

イエスの友会は大正10年(1921年)10月5日、奈良、菊水楼において日本基督教会の牧師、賀川豊彦を初め14名の同志によって結成された。フランシスコ第三会の愛と奉仕にならって、教会および地域における奉仕と伝道に努めるために、「敬虔、労働、平和、純潔、奉仕」の5つの綱領を遵奉することを定めたのである。

一大社会勢力の誕生

イエスの友会の発足した当初は、第一次世界大戦終結後の世界的な経済の大恐慌等によって暗雲のたれこめた日本と全世界に光を与えようと、新しい宗教運動を起こす必要が痛感されていた。そこで賀川豊彦の見解によると、当時の教会員が各教会でみなばらばらになっていて社会的な勢力にならないので、これを打って一丸として、一大社会的勢力にしたいという抱負があった。その後、関東大震災直前の大正12年8月25日から5日間、御殿場東山荘において、第一回の修養会を持ちイエスの友が集まり、互いに親しみを深め、共に祈り、共に修養し、学ぶことにより、信仰を堅くしたのである。イエスの友会が実際に全国的に結束し始めたのは、この時が初めてであったと思われる。これはイエスの友会の歴史から見て特筆される重要な会合であったというべきであろう。東京支部においては、8月の修養会と大震災とによって刺激されて、9月10日前 後に会員の有志が期せずして東京キリスト教青年会(YMCA)に始まって、同会の救護事業に加わって祈り、全員が献身的に働いた。毎日曜の早祈祷会には20~30人の同志が集まり、賀川豊彦による「聖書社会学」などを学び、或いは焼け跡の露天で、雨天の際は、焼け残った体育館等で朝6時から祈った。その頃、東京キリスト教青年会の慰問部に加わって、各教会から来る会員と共同して働いたが、いつもイエスの友会がその中心にあった。救護事業が一段落となっても、その精神が路傍伝道に発展し、早天祈祷会も益々盛んとなり、キリスト教による日本教化のために70~80人の兄弟姉妹が、毎日曜、神田の青年会に集って祈るようになった。

五綱領を基礎に

このようにして、賀川豊彦と同志たちは五綱領を基として熱心に伝道し、救貧、農村更生、婦人、児童、教育、協同組合運動、救らい、純潔、世界平和 運動等に積極的に参加し努力した。現在も教職、信徒の別なく、キリスト教会の強化と日本の救いと世界の平和のために祈り、夏期聖修会、大会その他の会合を持ち機関紙『火の柱』を年5回発行し、会員との交流につとめている。1985年(昭和60年)より、全国伝道を企画し、1986年7月には米国よりローレンス・ラクーア博士夫妻を迎えて、賀川豊彦生誕百年記念伝道を実施した(19回、会衆延3000人)。1988年には、賀川豊彦生誕100年記念実行委員たちの諸行事に協力し、また『賀川豊彦写真集』の発行及び頒布に協力した。イエスの友会は、ヨハネ福音書第15章にあるように、「わたしの命じることを行うならば、わたしの友である」とのみことばを肝に銘じて、私たちのうちにキリストが宿り、神が宿られると言う。聖霊内住の信仰により一致して、一つとなって進むのが真のイエスの友であろうと思われる。

歴史を受け継ぐ者

今日のイエスの友会は、同志たちが賀川精神を継承し、一人一人が小さな賀川となって、イエスの友の現代的使命について、聖修会に集い、熱心に討議し、祈りつつ、いかにしてその時代的使命に応えることが出来るかとの、天来の知恵と能力の与えられるよう切実に祈り求める必要がある。イエスの昇天後に主の弟子たちに、キリストの聖霊がくだり、使徒言行録にあるような大いなる神の業がなされたが、我々も真剣に祈って、御霊を受けて、一人一人がイエスの友会の歴史を受け継ぐ者とならねばならない。

イエスの友五綱領の解説

第一綱領 イエスにありて敬虔なること

われらの使命

私たちイエスの友の同志は、五綱領を奉じ、貧しい者の友となり、労働を愛し、平和と人権のために労し、純潔にして聖なる生活を貴び、社会奉仕のために生きることを使命とする。

敬虔とは何か

五綱領の第一には「イエスにありて敬虔なること」とあるが、これは残りの4項を思想的に支える根本ともなっている。では「敬虔」とは何か。五綱領の起草者賀川豊彦にとって、敬虔は宗教の本体であり、それは絶対者のために生きる感情、思想、行動であった。そればかりか宇宙意思の発動、宇宙生命の体験そのものである。つまり敬虔とは神に没入する心情、神的なるものを拝む心、礼拝心なのである。では、敬虔なる生活とは何かと云うと、それは祈りの生活の実践である。本会が発足したのも、まず祈りの友としてであった。「贖罪愛の社会的実「践」のための祈りと奉仕の団体こそ本会なのである。祈りは敬虔の根本にして、神体験の最高の道である。

祈るものにだけ神の不思議な導きは与えられる。その範例としては、17世紀の南ドイツに起こったシ ュペナーの敬虔主義運動を挙げる事ができる。彼は教理教条を捨て去り、信徒による聖書の実行、家庭礼拝、愛の生活を説いた。それに共鳴したフランケがハレに貧民学校を建て、続いて市民学校・孤児院・印刷や出版の伝道会社を起こし、その弟子らに よって無料奉仕団、ディアコニッセが出来たのであった。

敬虔は謙遜

最後に、神への敬虔は他者への謙遜でもある。(ピリピ2章3節)謙遜は聖潔の美であり、主イエス・キリストの贖罪の根拠でもある。霊的高慢に陥らないように歩もうではないか。「神は高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる」のである。(第1 ペテロ5章5節)謙遜は蕾みにして十字架はその華(はな)なのである。

第二綱領 貧しき者の友となりて労働を愛すること

労働は神聖である

昔は、労働をすることは卑しいことと考えられていたが、イエス・キリストは、大工の子として、労働をしながら成人された。このことから「労働は神聖である」と言われるようになった。賀川豊彦は「大工イエスは、その友のために、近所の友人を夜中に起こしてパンを借りる愛の労働者であった」とその著書『労働者崇拝論』に書いている。「今日世界の半分の人がイエスを拝している。彼が天を捨てて労働者階級に入ったからだというのである」またイエスは「生産者である神は、世界が始まってから今も労働しているから我も日曜日に「労働する」といったとも書いている。この書の根本思想は、神の前の人間であると思う。

キリストの勤労精神の分析

賀川が、火の柱第69号に『キリストと勤労生活』という題の説教を書いてキリストの勤労精神の分析をしている。

目的労働

その第一は「目的労働」である、「労働が神聖である」以上は、兵器や酒を作るようなことでなく、「神の目的即ち、真善美のために労働する」ということである。

奉仕労働

第二に「奉仕労働」について、キリストは、「人の子が来たのは仕えられるためでなく、仕えるために」といわれている。人の頭になるという考えを捨てて、「下座奉仕」の精神で、働くことが肝要である。キリストも自ら、腰に手ぬぐいを巻き、弟子達の足を洗われた。

苦役(労働)

第三に「苦役(労働)」である。これは、人のいやがることを喜んでする労働の実践である。ドイツのディアコネス運動は、この精神から始まったもので、「粉塵にまみれて」奉仕することである。浜松の遠州キリスト学園でもこの運動を起こしたところ、60人の応募者があった。バブル崩壊前は学生が労働をいやがって、銀行や証券会社への就職を目指したが、今は、堅実な生産会社を目指すようになった。イエスの友は、聖書や先人の教えに習って、「労働を愛する運動」を起こすべきである。

第三綱領 世界平和のため努力すること

平和は人類の等しく希求する生活の基調である。平和なくして人心の安定はなく、生活の向上なく、まして文化の発展もない。「海は深い。だがそれより深いのは天だ。その天よりも深いのは人間の心で「ある」とフランスの文豪ビクトル・ユーゴーは言う。この深遠なる人の心を、神と平和と人類の幸福のため活かして用いることが、世にあるキリスト者の務めである。

世界平和への希望

平和を乱す紛争の根源には、常に経済、民族、宗教に対立する問題が横たわっている。ここに力点を置いて、神より賜る尊い人命を損傷することなく、武力を用いずに争いを解決する方法を、絶えず考究して行かなければならない。湾岸戦争の終結時に、国際連合は世界政府構想への一つの雛形を見せた。この国連を改組し、“世界法”による世界政府をつくり、各国を連邦として統治することを目指す世界連邦運動は、来るべき新時代の道標であり、世界平和への希望の星である。EC(欧州共同体)はその一モデルとなるであろう。

日本における世界連邦運動は、第二次大戦後、尾崎行雄、賀川豊彦らの先覚によって産声を上げた。先師賀川はこの運動にも大いに協力推進したが、われわれイエスの友会は世界平和のため、今新しくその遺志を継承しなければならない。

苦難は先覚者の道

日本の進む道は、この憲法の精神に徹し、国連を中心とする世界平和の方策をさぐりつつ、武器の製造とその輸出禁止、「つるぎを打ちかえて、鋤とし、やりを打ちかえて鎌とし」あらゆる戦争原因の除去に力を尽くすほかはない。“万世のため太平を開く”『平和憲法』の精神は、人類の向かうべき目標をうたっている。われわれはひるむことなくこの理想精神を宣べ伝えるが、それには犠牲と嘲笑と迫害をもいとわぬ覚悟が必要である。苦難は先覚者の道でありイエスの友会員はその光栄を負うものでありたい。

平和交渉

昭和16年7月31日サンフランシスコで昭和16年(1941年)4月に日本のキリスト教界はアメリカの教会に平和使節団を送った。日本の中国に対する侵略が泥沼化していた時期であった。阿部義宗、斉藤惣一河井道らと共に、賀川豊彦も派遣された。この時彼は、近衛文磨から内命を受けて使節団が帰国した後もアメリカに残って ルーズベルト大統領との和平交渉にあたった。交渉が進展したかに見えた時に日本軍が新たに仏印に進攻したため、交渉はすすまなくなり、残念な思いをもって彼は帰国の途についた。(次ページ参照)これを賀川豊彦が書いた翌日の8月1日、サンフランシスコを出る最後の交換船・龍田丸に乗船した。その年の12月、スタンレー・ジョーンズらはニューヨークで、賀川豊彦らは松沢で、相呼応して、1日から一週間、平和のために祈祷会を開いた。徹夜の祈祷会が終わったその12月8日、日本軍は真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が始まった。

第四綱領 純潔なる生活を貴ぶこと

国連ビル

ハグネイア (純潔)

純潔(ハグネイア[ギリシャ語])という語では、道徳的純粋さ、特に新約聖書では愛と結婚について用いられている。プロテスタント教会の社会倫理では、男女の性的関係を正しく保つことを総称している。これは十戒の第七戒「姦淫してはならない」に基づき、イエスも山上の垂訓でさらに徹底的に教え、教会が社会に大きな感化を及ぼしてきた。プロテスタントでは、カトリック的貞操観と異なり、結婚を神の創造の秩序として認め、そのうえで男女の性的関係の清く正しい在り方を主張する。こうして純潔は、結婚前の男女の交際、結婚後の夫婦生活、社会における男女の交際に適用して考えられ、社会倫理 の基本原理として重要視されている。日本ではキリスト教婦人矯風会、救世軍、YMCAによって唱導され、廃娼運動、一夫一婦制のきびしい見解によって、日本社会における結婚と家庭の純化と男女関係の正しい、考え方に貢献してきた。

賀川豊彦の苦悩

賀川豊彦はその出生の時から純潔について、深い苦悩がつきまとっていた。時々「私は妾の子である。」と告白された。しかし、キリストの贖罪愛により回心し聖別された。この深刻な経験から熱心に福音の宣教とともに純潔の必要性を叫び続けた。キリスト教婦人矯風会の廃娼運動その他に協力し、積極的に「純潔」の運動を展開した。また、禁酒・禁煙運動にも熱心で、数字をあげてその害を説明し、人々は物質至上主義、享楽的傾向が強く、性道徳は乱れ、集団でいかがわしい目的で東南アジアなどに旅行するものが多くなり海外から軽蔑批判されている。エイズの問題も深刻になってきた。教会も世俗化の風潮があり、飲酒、喫煙も多く、純潔も軽視されている。イエスの友は、これらの現実を認識し、純潔なる生活を叫び続ける必要がある。

平和交渉

昭和16年7月31日サンフランシスコで昭和16年(1941年)4月に日本のキリスト教界はアメリカの教会に平和使節団を送った。日本の中国に対する侵略が泥沼化していた時期であった。阿部義宗、斉藤惣一河井道らと共に、賀川豊彦も派遣された。この時彼は、近衛文磨から内命を受けて使節団が帰国した後もアメリカに残って ルーズベルト大統領との和平交渉にあたった。交渉が進展したかに見えた時に日本軍が新たに仏印に進攻したため、交渉はすすまなくなり、残念な思いをもって彼は帰国の途についた。(次ページ参照)これを賀川豊彦が書いた翌日の8月1日、サンフランシスコを出る最後の交換船・龍田丸に乗船した。その年の12月、スタンレー・ジョーンズらはニューヨークで、賀川豊彦らは松沢で、相呼応して、1日から一週間、平和のために祈祷会を開いた。徹夜の祈祷会が終わったその12月8日、日本軍は真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が始まった。

第五綱領 社会奉仕を旨とすること

イエスの友五綱領の1つ「社会奉仕」はイエスの友会の会員としては真に基本的な考え方の1つである

キリスト教と奉仕

イエス・キリストは、ご自身の使命が仕えられることでなく、仕えることにあること、キリスト者の使命もまた奉仕([ギリシャ語]Diakonia [英語]Service)にあることを明らかにした。(マルコ福音書10章43~45節)

キリスト者は、このイエス・キリストに仕えられているが故に、イエス・キリストに仕え、隣人に、教会に、社会に仕えることをその生活の規範としている。神、キリストへの奉仕の具体的表現は、礼拝であり、隣人への奉仕は精神的又は肉体的な窮乏に苦しむ者を助けることである。後者の奉仕には、教会内の会員相互の奉仕と、教会外の世界への奉仕がある。賀川豊彦はイエスの友による社会奉仕に重点をおかれた。

奉仕と伝道

荒野の宣教者ヨハネは牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。そこで、自分の弟子たちを送って尋ねさせた。「来るべき方はあなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」イエスはお答えになった。「行って見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。」(マタイ福音書 11章3~6節)バプテスマのヨハネの、イエスに対する質問に答えられたイエスの言葉こそ、イエスの贖罪愛の実践に対する規範であると思われる。

贖罪愛の実行

イエスは福音書において、「わたしのこれらの言葉を聞いて行うものは皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」(マタイ福音書7章24節)また、「わたしを“主よ、主よ”と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか」と弟子たちや群衆に対して、強い調子で説かれた。このように信仰は行いが伴わなければ生命なき死んだものである(ヤコブ書2章17節)とのヤコブの教えとも一致する。日本は現在、物質的には恵まれて豊かである。それに引きかえ、精神的には貧しくなっている。また真に社会へ奉仕する者は少ない。これからは、豊かな物資に心をこめて、海外、特に東南アジアやアフリカで生活に困窮している人たちに、愛の手を差し延べる奉仕の業にイエスの友は率先して励みたい。

2012年第87回イエスの友会夏期聖修会参加者

イエスの友会25 主張

イエスの友会は、 五綱領の他に25の主張を持つ

1. 人格的社会組織の達成

2. 愛による正しい夫婦関係の確立

3. キリスト的兄弟愛の実行

4. キリスト者の世界的団結

5. 日本キリスト者一千万人救霊運動の提唱

6. 巡回伝道班の設置

7. キリスト教教育の徹底

8. 信徒教育献身者養成への協力

9. 内外の人権の擁護

10. 文書伝道の普及

11. 人格的労働組合の完成

12. 労働者伝道の貫徹

13. 海外宣教の推進

14. 平和憲法の遵守 (無戦社会の実現)

15. 国連の発展、 世界連邦運動達成への努力

16. 禁酒・禁煙の徹底

17. 社会浄化運動の提唱

18. 青少年の純潔を守る(麻薬禍の追放)

19. 児童福祉の促進

20. キリスト教社会福祉の確立

21. ボランティア運動の推進

22. 協同組合の確立

23.下座奉仕の実行

24. 立体農業の普及

25. 賀川豊彦研究の普及